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【大露羅とはどんな力士だったのか】ロシア・ブリヤートから角界へ

風杜 蓮 風杜 蓮 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

大露羅の本名は、ロシア語で Анатолий Валерьевич Михаханов(アナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ)。1983年4月26日、ロシア連邦ブリヤート共和国で生まれた。

出身地はブリヤート共和国のザイグラエフスキー地区。シベリア南東部に位置し、バイカル湖にも近い地域だ。日本の大相撲において、ロシア出身の力士として初めて角界入りした人物としても紹介されている。

16歳で来日、2000年春場所で初土俵

大露羅が日本の相撲界に入ったきっかけには、元横綱・北の湖の存在があった。

1999年、タレントのポール牧の紹介を通じて来日。翌2000年3月場所で初土俵を踏んだ。当時はまだ16歳10カ月だったが、体重はすでに約193kgあったという。

一般的な新弟子とは異なり、入門時点ですでに規格外の体格を備えていた。

日本相撲協会の公式プロフィールによると、所属は入門時の北の湖部屋から山響部屋へと移り、得意技は左四つ・寄り。最高位は2011年11月場所の東幕下43枚目である。

大露羅のプロフィール一覧
項目 内容
四股名 大露羅 敏(おおろら さとし)
本名 アナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ
生年月日 1983年4月26日
出身地 ロシア連邦ブリヤート共和国
身長 190.5cmと紹介される。協会公式プロフィールは191.0cm
現役時の最高体重 292.6kg
初土俵 2000年3月場所
最高位 東幕下43枚目
所属部屋 北の湖部屋、山響部屋
得意技 左四つ・寄り
引退 2018年9月場所
引退時の年齢 35歳

出典:日本相撲協会公式力士プロフィール、当時のスポーツ報道。身長は資料によって0.5cmの差がある。

最高位は幕下43枚目。関取には届かなかった

大露羅の知名度を考えると意外に感じるかもしれないが、最高位は幕下43枚目であり、十両以上の関取には昇進していない。

大相撲では、体重が重いことだけで勝ち続けられるわけではない。

立ち合いの反応、足腰の安定性、相手の動きに合わせる技術、持久力など、さまざまな能力が求められる。大露羅の場合、体格は大きな武器だった一方、その巨体を自在に動かす難しさも抱えていた。

実際、長年にわたって三段目を中心に土俵を務め、幕下に定着することはできなかった。

それでも、2000年の初土俵から2018年の引退まで、約18年半にわたって現役生活を続けたことは見逃せない。

関取昇進だけを力士の価値とするなら、大露羅のキャリアは評価されにくい。しかし、角界に独自の存在感を残したという意味では、極めて印象的な力士だった。

【292.6kgはどれほど重い?】小錦を超えた大相撲史上最重量記録

大露羅

大露羅の名前が全国的に知られるようになった最大の理由は、やはり292.6kgという体重記録だ。

2017年8月22日、日本相撲協会の健康診断で大露羅は288kgを計測した。

この数値は、当時の歴代最重量記録として知られていた元大関・小錦の285kgを上回るものだった。

さらに翌2018年8月27日、健康診断で292.6kgを計測。自らの記録を4.6kg更新し、歴代最重量記録を塗り替えた。

小錦との体重比較
力士 体重 記録の意味
元大関・小錦 285kg それまでの歴代最重量として知られた記録
大露羅・2017年 288kg 小錦の記録を更新
大露羅・2018年 292.6kg 自身の記録をさらに更新

数値は当時の報道に基づく。小錦の285kgは当時比較対象とされた計測記録。

入門時から約100kg増えた体重

注目したいのは、入門時の体重が約193kgだったことだ。

2018年の292.6kgと比較すると、約100kgも増加している。

大露羅自身、2018年の健康診断で記録を更新した際には、体重が増え続けることについてユーモアを交えて話していた。

日刊スポーツの報道によると、計測前の深夜におにぎりを2個食べたことを明かし、その大きさについても冗談を交えて説明している。

また、2017年に小錦の記録を超えた際には、北の湖から「小錦を超えてみろ。何でも1番になった方がいい」と言われていたことを振り返った。

大露羅にとって、体重記録は単なる数字ではなかった。師匠から受けた言葉を実現した、特別な記録でもあったのだ。

巨体を生かす相撲と、その限界

大露羅の取り口は、左四つからの寄りを中心とするものだった。

体重のある力士と組み合えば、相手は自分の体を支えながら動かなければならない。大露羅の巨体は、相手に大きな負担を与える要素だった。

一方で、重量が増えるほど自分自身の移動にも負荷がかかる。

相撲は単純な押し合いではなく、相手の重心を崩す競技だ。体重があっても、相手の動きに反応できなければ勝ちにつながらない。

大露羅のキャリアは、体重という一つの能力が突出していても、それだけでは番付を上げられないという大相撲の厳しさを示している。

【北の湖との14年間】付け人として支え続けた師匠との絆

大露羅を語るうえで欠かせない人物が、元横綱・北の湖だ。

北の湖は現役時代に数々の実績を残した大横綱であり、引退後は北の湖部屋の師匠を務め、日本相撲協会の理事長にも就任した人物である。

大露羅は、その北の湖の付け人を約14年間務めた。

付け人とは、関取や親方の身の回りの世話などを担当する力士のこと。単なる雑用係ではなく、日常生活や巡業、場所中の行動を間近で支える役割でもある。

北の湖を「オヤジ」と呼んだ理由

大露羅は、北の湖を父親のように慕っていた。

来日して間もない頃、実の父親を亡くした大露羅は、北の湖に「オヤジって呼んでいいですか」と尋ねたという。

北の湖から返ってきた答えは「いいよ」だった。

このエピソードは、2018年9月の引退時に複数のスポーツメディアが紹介している。

大露羅はその後、北の湖を親方という立場以上に、人生の支えとなる存在として慕い続けた。

2015年11月20日、北の湖は62歳で亡くなった。

翌21日の九州場所14日目、大露羅は取組後に涙を見せた。

デイリースポーツの報道では、大露羅は14年間付け人を務めたことに触れ、師匠の死を悲しみながらも、人間は頑張ることが一番だと教えてもらったと語っている。

大露羅と北の湖をめぐる人物相関表
人物・組織 大露羅との関係 主なエピソード
大露羅 敏 本人 ロシア出身の元力士
北の湖親方 師匠・恩人 約14年間付け人を務め、父親のように慕った
ポール牧 来日の紹介者 大露羅の角界入りに関わった人物
小錦 記録上の先人 285kgの体重記録を大露羅が更新
白鵬 対戦相手 2001年秋場所で大露羅が勝利した相手
北の湖部屋 入門時の所属部屋 2000年3月場所に初土俵
山響部屋 所属部屋 引退時の所属部屋

引退の決断には北の湖との約束も関係していた

大露羅が引退を決断するうえで、北の湖との約束も大きな意味を持っていた。

2018年の引退報道によると、大露羅は北の湖が亡くなる約1年前に、師匠の定年退職まで現役を続けると約束していた。

北の湖が存命なら2018年に65歳の定年を迎える年だった。

大露羅はその約束を心に留め、2018年9月場所限りで土俵を去ることを決めた。

引退を表明した9月21日、大露羅は「外国から来て強くはなかったけど北の湖部屋に入れたのは一番良かった。一番感謝している」と師匠への思いを語った。

この言葉には、勝ち星や番付だけでは測れない、18年半の相撲人生が凝縮されている。

【飛行機での苦労】大露羅がロシアへの帰国を嫌がった理由

大露羅のエピソードの中でも、特に印象的なのが飛行機での出来事だ。

2012年、弟の結婚式に出席するため、故郷ロシアへ帰ることになった。

ところが、292kg近い体重に達する巨体は、一般的な旅客機の設備と相性がよくなかった。

伝えられているエピソードは次のとおりだ。

1.シートベルトが体格に合わなかった

通常の旅客機の座席は、一般的な乗客の体格を想定して設計されている。

大露羅ほどの巨体になると、座席に収まること自体が難しくなる。

帰国時の飛行機では、体格が原因でシートベルトが切れるというトラブルまで起きたとされる。

2.機内トイレに入れなかった

さらに深刻だったのが、機内トイレの問題だ。

トイレは狭い空間であり、体の大きな乗客にとっては利用しづらい設備でもある。

大露羅の場合、巨体のためトイレに入ることができず、移動中に大きな不便を感じたという。

3.再来日後に涙目で苦労を語った

日本に戻った大露羅は、飛行機での経験について、もう二度と乗りたくないという趣旨の言葉を涙目で話したと伝えられている。

「僕、もう二度と嫌です」という発言は、その苦労を象徴するものとして紹介されてきた。

この話題では、箸が爪楊枝に、丼が茶碗に見えてしまうほどの巨体という表現も使われていた。

もちろん、これは大露羅の体格の大きさを伝える比喩だ。

この飛行機のエピソードから分かるのは、体重記録を更新することと、日常生活を快適に送ることは必ずしも同じではないという現実である。

土俵の上では大きな武器だった体格が、飛行機や公共設備を利用する際には大きな負担になっていた。

【大露羅の引退後と現在】100kg減量、ロシアでの新しい人生

2026年2月の活動報道あり

大露羅は2018年9月場所限りで引退した。

引退後は日本を離れ、故郷のブリヤート共和国へ帰国。ロシアの報道機関スプートニク日本も、2018年10月にウラン・ウデへの帰国を伝えている。

帰国直後の大露羅は、体重を減らして健康を回復することを今後の目標として挙げていた。

2020年には約100kgの減量に成功

引退後の大露羅にとって、最大の課題の一つが減量だった。

2020年5月31日付の朝日新聞の記事として紹介されたインタビューでは、引退後1年間で100kg以上の減量に成功したことが報じられた。

その取り組みは、食事と運動の両面にわたっていた。

項目 現役時代 引退後の取り組み
体重 292.6kg 約190kgまで減少
食事回数 1日2食中心 1日5食に分ける
食生活 大量に食べる生活 野菜などを取り入れた食事
運動 運動不足を自覚 ウォーキングを継続
歩行距離 苦手意識があった 毎日約6km
血圧 上の数値が180に達した時期も 130台に改善

特に注目したいのが、食事の回数を増やしたことだ。

現役時代は1日2食で大量に食べる生活だったが、引退後は1日5食に分け、少しずつ食べる方法に切り替えた。

また、当初は酸素ボンベを使いながらウォーキングを始めたという。

足腰への負担も大きく、最初から簡単に歩けたわけではない。それでも運動を続け、2020年のインタビュー時点では毎日6kmほど歩けるようになったと報じられている。

体重は約190kgまで減り、血圧も改善した。

これは単に見た目が変わったという話ではない。長年続けてきた力士生活から、健康を優先する生活へ切り替えた大きな変化だった。

2022年には「笑顔と幸せのトレーナー」として活動

2022年9月、ブリヤートの地元メディア「ブリヤート・ウネン」は、アナトリイ・ミハハノフへのインタビューを掲載した。

その中で大露羅は、自身の仕事を「笑顔と幸せのトレーナー」と説明している。

人々が自信を持ち、ストレスに対処し、前向きに生活できるよう手助けする活動だという。

また、引退後の生活について、1日に18〜20km歩くことや、朝の体操、冷水を浴びる習慣についても話している。

本人は、プロスポーツ選手を引退した現在も、体を動かし続ける生活が自分に合っていると説明していた。

2025年にはイベント司会者として新たな挑戦

2025年10月18日、ブリヤート共和国の新聞「ノーメル・アジン」は、アナトリイ・ミハハノフの近況を紹介した。

記事によると、大露羅は帰国後、ネットワークビジネスや個人事業など、さまざまな分野を経験。知性や前向きな思考をテーマにした活動にも携わってきた。

そして新たに挑戦していたのが、イベントの司会者という仕事だった。

人々を楽しませ、会場に明るい雰囲気をつくることに関心があるという。

かつて土俵で観客の視線を集めた大露羅が、今度はイベントの場で人を楽しませる立場に挑戦しているのは興味深い変化だ。

2026年2月には地元で相撲の指導も

加えて、2026年2月27日には、ブリヤート共和国の地元メディア「ブリヤード・ウネン」が大露羅の活動を報じた。

記事によると、大露羅はMMA選手のタガル・ナムサラエフに相撲のマスタークラスを実施した。

トレーニングでは、大露羅が相撲の基本を教え、相手側はMMAの技術を紹介するという交流も行われた。

現役時代に日本の土俵で培った経験を、今度は故郷の格闘技選手に伝える活動だ。

2026年現在、確認できる近況として重要なのは、単に減量に成功した元力士というだけでなく、地元でイベントやスポーツに関わる活動を続けていることだ。

なお、2026年時点の最新の体重については、信頼できる新しい公表数値は確認できない。 約190kgという数字は2020年の報道に基づくものであり、現在も同じ体重だと断定することはできない。

【大露羅の四股名と本名の由来】オーロラから生まれた名前

大露羅という四股名も、読者の興味を引く特徴の一つだ。

一般的な日本人の四股名とは異なり、ロシア出身であることを感じさせる独特な響きを持っている。

「大露羅」はオーロラに由来する

大露羅という名前は、オーロラにちなんだものとされる。

ロシアはオーロラが見られる地域を有する国でもあり、雄大な自然を連想させる名前だ。

相撲関連の資料では、ポール牧がその命名に関わったと伝えられている。

漢字の「大露羅」は、オーロラという音を日本語の漢字で表現した四股名として理解すると分かりやすい。

本名はアナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ

一方、本人の本名はアナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ。

ロシア語表記ではАнатолий Валерьевич Михахановとなる。

ロシアでは父称を含む名前が一般的であり、ヴァレリエヴィチは父親の名前に由来する父称に当たる。

日本相撲協会の公式プロフィールでは、姓と名の順序を入れ替えた「ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェ」という表記も使われている。

また、四股名の下の名前は、当初「満」とされ、後に「敏」へと変更された。相撲関連の人物資料では、北の湖の本名「敏満」から一字を受けたものと紹介されている。

大露羅という四股名にはロシアの出身地を感じさせる響きがあり、「敏」という名前には師匠とのつながりが込められている。名前そのものにも、彼の相撲人生が表れている。

【大露羅に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:大露羅は現在何をしている?

A1:2018年に引退してロシアのブリヤート共和国へ帰国。イベント司会や人々を前向きにする活動などに取り組み、2026年2月には地元でMMA選手に相撲のマスタークラスを実施したと報じられている。

Q2:大露羅の現役時代の体重は何kg?

A2:2018年8月27日の健康診断で292.6kgを記録した。2017年の288kgからさらに増えた数値で、歴代最重量記録として知られている。

Q3:大露羅の最高位は何枚目?

A3:2011年11月場所の東幕下43枚目。関取には昇進していない。

Q4:大露羅は北の湖の付け人を何年間務めた?

A4:約14年間。北の湖を父親のように慕い、「オヤジ」と呼んでいたことでも知られる。

Q5:大露羅は引退後に何kgまで痩せた?

A5:2020年の報道では、約190kgまで減量したとされる。現役時代の292.6kgから100kg以上減った計算になる。2026年の最新体重は公表されていない。

Q6:大露羅の本名は?

A6:アナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ。ロシア語ではАнатолий Валерьевич Михахановと表記する。

Q7:大露羅の四股名はどういう意味?

A7:オーロラにちなんだ名前とされる。命名にはタレントのポール牧が関わったと伝えられている。

大露羅は、ロシア・ブリヤート共和国から日本の大相撲に挑戦し、292.6kgという歴代最重量記録を打ち立てた元力士だ。

最高位は幕下43枚目で、関取には届かなかった。しかし、2000年から2018年まで約18年半にわたって土俵に立ち続け、北の湖の付け人を約14年間務めたという経歴は、ほかの力士にはない個性を持っている。

特に印象的なのは、北の湖との師弟関係だ。

父親のように慕った師匠との約束を胸に引退を決め、故郷へ帰った。その後は100kg以上の減量に成功し、健康を意識した生活へと変化。2026年には地元で相撲の指導を行う姿も報じられている。

大露羅の人生を振り返ると、292.6kgという数字だけでは、その人物像を十分に理解できないことが分かる。

番付では幕下43枚目。しかし、体格の記録、師匠との絆、引退後の挑戦という三つの面で、大相撲史に強い印象を残した人物だった。

大露羅の本当の功績は、単に大きな体で記録を更新したことではない。日本で約18年半を過ごし、引退後も新しい人生を切り開き続けていることにある。

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コンテンツディレクター 風杜 蓮
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