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【若い頃の写真を検証】デヴィ夫人の昔の姿が分かる貴重な画像と出典

風杜 蓮 風杜 蓮 • 更新: • 公開: • 読了約 21 分
目次

デヴィ夫人の若い頃の写真を探す際、特に注目したいのが、本人の公式ブログと公式Instagramに掲載されたプライベート写真です。ネット上ではさまざまな画像が紹介されていますが、本人が当時の状況を説明した写真には、撮影時期や背景を理解する手掛かりがあります。

2019年に公開された27歳当時の写真

2019年8月14日、デヴィ夫人は公式ブログで「ノスタルジックな宝物」と題した写真を公開しました。片付け中に見つけた50年以上前の写真で、当時の思い出とともに複数の画像を紹介しています。

中でも話題になったのが、生後2か月の長女カリナさんを抱いた27歳当時の写真です。母親として娘を抱く姿だけでなく、若い頃のヘアスタイルや服装、自然な表情も写っています。

同じ投稿では、女優を目指して東芸プロダクションの2期生になった頃の写真も紹介されました。パリ時代の華やかなドレス姿とは違う、芸能界を目指していた時期の姿を確認できる点も興味深いところです。オトナンサーや女性自身も、この写真公開を取り上げています。

2020年公開の1967年9月の写真

もう一つ重要なのが、2020年10月14日に公式Instagramで公開された写真です。

写真は1967年9月に撮影されたもので、当時27歳だったデヴィ夫人と、生後6か月のカリナさんが一緒に写っています。本人は、サンフランシスコに立ち寄り、ニューヨークで友人のシンディ・アダムスさんと過ごした後、パリへ亡命した頃の写真だと説明しました。

この投稿には「美しすぎる」「気品にあふれている」といった反応が集まりました。クランクイン!やORICON NEWS、ENCOUNTなども取り上げ、若い頃の美貌が改めて話題になりました。

昔の写真はどこから確認できる?

写真の出典を調べるなら、次の情報源が参考になります。

- デヴィ夫人オフィシャルブログ: 2019年の「ノスタルジックな宝物」。27歳当時の写真や女優を目指していた頃の画像を確認する手掛かり。
- デヴィ夫人公式Instagram: 2020年10月14日の1967年9月の写真。本人による当時の状況説明がある。
- ORICON NEWS・クランクイン!: 公式SNSの投稿内容や写真公開の経緯を報じた記事。
- All About ニュース: 2024年9月に紹介された若い頃のポートレート。

特に、SNSで拡散されている画像を確認するときは、本人の投稿に遡れるかどうかが大切です。出典がPinterestやTikTokなどの転載画像だけの場合、撮影年や人物の説明が正しいとは限りません。

【生い立ちと経歴】デヴィ夫人は若い頃からどんな人生を歩んだのか

デヴィ夫人若い頃

デヴィ夫人の本名は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)。日本名は根本七保子です。1940年2月6日に東京で生まれました。

現在の華やかなイメージからは想像しにくいものの、幼少期から裕福な家庭で育ったわけではありません。若い頃には仕事と学業を両立し、自分の力で生活を切り開いていきました。

東京で過ごした少女時代と仕事

2022年にORICON NEWSが紹介したテレビ番組での本人のエピソードによると、デヴィ夫人は東京・麻布の大工の家に生まれ、定時制高校に通いながら保険会社で働き、土日には喫茶店でもアルバイトをしていました。

その後、10代後半に赤坂の高級サパークラブで働くようになります。日刊スポーツの2017年の報道でも、夜間学校に通いながら働いていたことや、当時の仕事で高い収入を得ていたことが紹介されています。

この経験は、単に美貌が評価されたという話だけではありません。仕事を通じて外国人の顧客や国際的な社交の場に触れ、後の人生につながる人脈と経験を得ていった時期でもありました。

女優を目指していた時期もあった

デヴィ夫人は若い頃、女優を目指して演技やダンスを学んでいました。

本人のブログで公開された写真には、東芸プロダクションの2期生として活動していた頃の姿もあります。後年のインタビューでは、映画の端役を経験し、当時16歳だった浅丘ルリ子さんと楽屋で一緒になった思い出にも触れています。

つまり、現在のタレントとしての活動は、突然始まったものではありません。若い頃から人前に立つ仕事に関心を持ち、演技や表現を学んでいた経緯があります。

1959年、スカルノ大統領との出会い

人生を大きく変えたのは、1959年6月のインドネシア初代大統領スカルノとの出会いでした。

日刊スポーツの報道によると、スカルノ大統領が日本を訪れていた際、デヴィ夫人が友人と映画を観に行くために待ち合わせをしていた場所で、大統領一行と偶然出会ったといいます。

その後、交流を深め、インドネシアへ渡ることになりました。単なる芸能界への進出とは異なる、国際政治と社交界に関わる人生の始まりです。

【スカルノ元大統領の第3夫人】インドネシア時代からパリ亡命まで

デヴィ夫人を語るうえで欠かせないのが、インドネシアの独立を主導したスカルノ元大統領との関係です。

スカルノは1945年にインドネシアの独立を宣言した初代大統領です。デヴィ夫人はその妻となり、複数の夫人がいた中で第3夫人として国際社会に知られる存在になりました。

スカルノ元大統領の第3夫人としての生活

デヴィ夫人は1959年にスカルノと出会い、インドネシアへ渡りました。結婚年については、1962年とする日刊スポーツなどの報道がある一方、2026年の会社発表資料には1959年とする記載もあります。出会いと結婚の時期を混同しないことが大切です。

1962年にインドネシア国籍を取得したことは、2022年の映画関連イベントで本人が語っています。現地ではラトナ・サリ・デヴィ・スカルノの名で知られるようになりました。

インドネシア時代は、単なる大統領夫人としての生活にとどまりません。外交関係者や国際的な社交界との接点を持ち、国家の変動を身近で経験した時期でした。

1965年の政変と1967年の亡命

1965年、インドネシアでは政治的な大きな混乱が発生します。その後、スカルノの政治的立場は弱まり、1967年には大統領の座を退くことになりました。

デヴィ夫人もインドネシアを離れ、フランス・パリを中心とした海外生活に入ります。1967年9月の写真に残されたカリナさんとの姿は、まさにこの激動の時期を物語るものです。

1970年にはスカルノ元大統領が亡くなりました。その後、デヴィ夫人は自らの人脈や国際的な交流を生かして活動を続け、パリの社交界でも「東洋の真珠」と称されるようになります。

デヴィ夫人の経歴・年表と関係人物

若い頃から現在までの歩みを時系列で整理すると、次のようになります。

時期 出来事・関係人物 主な意味 1940年 東京で誕生。旧名は根本七保子。 日本での生い立ち 1950年代後半 定時制高校、会社勤務、赤坂のクラブ勤務、女優修業。 社会経験と芸能活動への関心 1959年 スカルノ大統領と出会い、インドネシアへ。 人生の大きな転機 1962年 第3夫人として結婚したとする報道がある。 インドネシア国際社交界へ 1967年 娘カリナさんとともに国外で生活。パリへ亡命。 政変による生活の変化 1970年 スカルノ元大統領が死去。 新たな人生の段階へ 1980年代~1990年代初頭 インドネシアでの事業、ニューヨークへの移住。 実業・国際活動 2000年代以降 日本を活動拠点としてテレビや講演に出演。 タレントとしての知名度拡大 2019年7月 公式YouTubeチャンネルを開設。 デジタルメディア進出 2026年5月 オンラインサロンを開設。 会員制コミュニティ事業

この年表から分かるのは、デヴィ夫人の人生が大統領夫人時代だけで完結していないことです。社交界、実業、慈善活動、芸能、インターネットと、時代に応じて活動の形を変えてきました。

【若い頃と現在を比較】美貌・ファッション・存在感はどう変わった?

若い頃と現在のデヴィ夫人を比較すると、共通しているのは、華やかな装いを自分のスタイルとして確立している点です。

若い頃の特徴は端正な顔立ちと気品

若い頃の写真では、整った顔立ち、長い髪を生かしたヘアスタイル、落ち着いた表情が印象に残ります。ドレスやアクセサリーも華美になりすぎず、当時の国際社交界にふさわしい上品な装いが目立ちます。

特に「東洋の真珠」という呼び名は、単なる日本国内の芸能的なキャッチコピーではなく、パリの社交界での存在感を象徴する表現として紹介されてきました。

現在は華やかなファッションと強い個性

現在のデヴィ夫人は、鮮やかな色のドレス、大ぶりのアクセサリー、存在感のあるヘアメイクなどを積極的に取り入れています。

テレビ番組では歯に衣着せぬ発言や大胆な挑戦が注目されますが、ファッションの面でも年齢にとらわれないスタイルを貫いています。

2024年にはKANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERのランウェイにも登場。84歳でファッションイベントに参加したことも話題になりました。

若い頃と現在の比較表
比較項目 若い頃 現在・2026年
主な活動 社交界、国際交流、実業 芸能、講演、SNS、社会活動
ファッション 上品なドレス、洗練された装い 鮮やかなドレス、華やかなアクセサリー
ヘアメイク 長い髪を生かしたスタイル 存在感のあるヘアメイク
メディア 国際社交界や新聞・雑誌 テレビ、Instagram、YouTube
社会的役割 大統領夫人、社交家 タレント、慈善活動家、実業家

もちろん、若い頃と現在では写真の撮影技術、照明、メイク、衣装が異なります。単純に容姿だけを比べるよりも、それぞれの時代で自分の魅力を表現してきた点に注目すると、デヴィ夫人の個性がよく分かります。

若い頃の美貌に対する評判

過去の写真が公開されるたびに、SNSでは美貌や気品を称賛する反応が見られます。

2019年の写真公開時には「本当に昔から美しい」「貴重な写真」といった反応が報じられ、2020年のInstagram投稿でも「東洋の真珠」という呼び名を思い出すコメントが紹介されました。

2024年の若い頃の写真についても、All About ニュースがファンからの称賛を報じています。こうした反響は、単に昔の美人写真への関心だけでなく、現在も華やかなイメージを保っていることへの驚きが重なったものです。

【2026年最新】デヴィ夫人の現在の活動とオンラインサロンの全貌

2026年のデヴィ夫人は、テレビ出演だけに活動を限定していません。公式InstagramやYouTube、慈善活動、会員制オンラインサロンなど、複数の領域で活動を展開しています。

2019年7月10日にYouTuberデビュー

デヴィ夫人は2019年7月10日、YouTubeチャンネル「デヴィ夫人 - Lady. Dewi Channel」を開設しました。

当時のORICON NEWSによると、チャンネルでは世界各国の社交界やセレブ生活の裏側、テレビでは見せない素顔などを紹介することが発表されました。

これは、テレビ中心だった活動をデジタルメディアにも広げた転換点です。SNSや動画を通じて、従来のテレビ視聴者以外にも自身の経験や価値観を届ける道を選びました。

2026年5月5日「サロン・ド・ラトナ」を開設

2026年の新しい活動

2026年の大きな新展開が、会員制オンラインサロン「サロン・ド・ラトナ ~ Fabulous World」です。

株式会社デヴィーナ・ソサエティの2026年5月7日付プレスリリースによると、サロンは2026年5月5日に開設されました。開設日は一粒万倍日であり、デヴィ夫人の本名に含まれる「ラトナ」はサンスクリット語で宝石を意味します。

公式Instagramではニューヨーク滞在中の様子とともに新しいオンラインサロンの開設が告知されました。これは、従来のファン向けSNS発信から、会員との継続的な交流を目指すサービスへの展開です。

オンラインサロンの内容と料金

公式サイトが案内する主なサービスは、次の5分野です。

- 美容や健康、世界情勢、国際社交マナーなどの動画配信
- 華道、茶道、書道、ダンスなどのワークショップ
- 動物愛護や人道支援につながる活動
- ティーパーティーや食事会、海外の社交イベント
- テーブルマナーやドレスコードなどを学ぶオンラインスクール

会員区分は4段階で、公式サイトには次の月額料金が掲載されています。

会員区分 月額料金 主な内容
サファイア 1,500円 毎日の配信など
ルビー 10,000円 文化体験やマナースクールなど
エメラルド 50,000円 少人数食事会や特別イベントなど
ダイヤモンド 個別案内 国際的な社交イベントへの参加など

上位会員には、在籍期間や紹介者などの条件が設けられている場合があります。申し込みを検討する場合は、公式サイトに掲載された最新の利用規約や料金案内を確認する必要があります。

NPO法人アースエイドソサエティと慈善活動

デヴィ夫人の活動を理解するうえで、慈善活動も欠かせません。

東京都のNPO法人情報によると、「アースエイドソサエティ」は2006年2月28日に認証された法人として登録されており、代表者はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノです。

定款上の目的には、難民や被災者など支援を必要とする人々への緊急人道支援、復興支援、国際協力などが掲げられています。

また、2024年10月には、同団体が主催するチャリティーパーティーでAAR Japan[難民を助ける会]への寄付が行われました。同団体の報告によれば、デヴィ夫人は約30年にわたって人道支援活動を応援しています。

株式会社デヴィーナ・ソサエティとの関係

2026年のオンラインサロンを運営しているのは、株式会社デヴィーナ・ソサエティです。代表取締役はデヴィ・スカルノとプレスリリースに記載されています。

一方、タレントマネジメントを担う会社として、株式会社オフィス デヴィ スカルノも公式企業情報を公開しています。

また、アースエイドソサエティについては、東京都のNPO法人情報に掲載された法人と、2026年の会社発表に記載された「一般財団法人 アース エイド ソサエティ」という表記があります。法人格の異なる記載が存在するため、団体名だけで同一法人と判断しないことが大切です。

デヴィ夫人の公式Instagram

本人の発信を確認する際は、公式Instagram「@dewisukarnoofficial」が重要な情報源です。

デヴィ夫人のオフィシャルブログでも、公式Instagramと公式YouTubeチャンネルが案内されています。若い頃の写真、日常の様子、イベント、オンラインサロンなどを確認する際は、本人の公式アカウントと転載記事を区別すると情報を整理しやすくなります。

【若い頃の真相と現在の活動】ネットで間違えやすい3つのポイント

デヴィ夫人の過去を調べると、写真の年代や経歴、現在の活動について複数の情報が見つかります。特に誤解しやすいポイントを整理します。

1. 若い頃の写真はすべて同じ年代ではない

2019年にブログで公開された27歳当時の写真と、2020年にInstagramで公開された1967年9月の写真は、別々の投稿です。

どちらも若い頃の姿を確認できる貴重な資料ですが、撮影時期や写っている場面は異なります。すべての画像を同じ時期の写真としてまとめるのは正確ではありません。

2. スカルノ元大統領との出会いと結婚は分けて考える

1959年はスカルノ大統領と出会った年として複数の報道で紹介されています。一方、正式な結婚年については資料によって1959年と1962年の表記が見られます。

第3夫人という関係性と、出会った年、結婚した年、インドネシア国籍を取得した年は、それぞれ別の情報として理解すると混乱しません。

3. デヴィ夫人の現在はテレビ出演だけではない

デヴィ夫人の活動をテレビ番組の印象だけで捉えると、実業や国際交流、慈善活動を見落とします。

2019年のYouTube進出に加え、2026年にはオンラインサロンを開設しました。これは、長年培ってきた社交や教養を会員制サービスに展開する動きです。

若い頃の美貌が注目される一方で、現在の活動にも継続性があることが、デヴィ夫人の経歴を理解するうえで要点です。

【デヴィ夫人の若い頃と現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:デヴィ夫人の若い頃は何歳頃の写真が公開されていますか?
A1:公式ブログでは27歳当時の写真が公開されています。また、公式Instagramでは1967年9月、27歳で長女カリナさんと一緒に写った写真が公開されています。

Q2:デヴィ夫人はスカルノ元大統領の何番目の妻ですか?
A2:第3夫人です。1959年に出会い、その後インドネシアへ渡りました。結婚年は資料によって記載に違いがありますが、1962年とする報道が複数あります。

Q3:デヴィ夫人は2026年現在、何歳ですか?
A3:1940年2月6日生まれなので、2026年11月現在86歳です。

Q4:デヴィ夫人はいつYouTuberになりましたか?
A4:2019年7月10日です。「デヴィ夫人 - Lady. Dewi Channel」を開設しました。

Q5:2026年に始まったオンラインサロンの名前は何ですか?
A5:「サロン・ド・ラトナ ~ Fabulous World」です。2026年5月5日に開設され、美容、教養、国際社交、動物愛護、社会貢献などをテーマにしています。

Q6:デヴィ夫人の若い頃の写真はどこで見られますか?
A6:本人のオフィシャルブログと公式Instagramが主な情報源です。2019年8月の「ノスタルジックな宝物」や、2020年10月14日のInstagram投稿が代表的です。

デヴィ夫人の若い頃の写真には、現在の華やかなキャラクターとは異なる、端正で気品のある姿が残されています。27歳当時の娘カリナさんとの写真や、女優を目指していた頃の画像は、その人生の一端を知る貴重な資料です。

1940年の東京での誕生、10代からの仕事と学業の両立、1959年のスカルノ元大統領との出会い、インドネシアでの第3夫人としての生活、そして政変後のパリ亡命。こうした経験が、現在の国際的な活動や独特の存在感につながっています。

2026年11月現在86歳のデヴィ夫人は、2019年のYouTuberデビューを経て、2026年5月には「サロン・ド・ラトナ ~ Fabulous World」を開設しました。慈善活動や動物愛護、社交文化の発信など、活動の幅も広がっています。

若い頃の写真を楽しむなら本人の公式ブログやInstagramを、経歴を調べるなら報道記事や公的な法人情報を、現在の活動を知るなら公式発表やオンラインサロンの情報を確認するのが確実です。

デヴィ夫人の魅力は、若い頃の美貌だけではありません。時代の変化や人生の転機を経験しながら、自分自身の存在感を保ち、新しい活動に挑戦し続けていることにもあります。

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コンテンツディレクター 風杜 蓮
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所属事務所の公式発表と本人の公式SNSのみを出典とし、週刊誌報道は複数媒体が一致した場合に限り言及。数字は発表元の値をそのまま引用します。

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