SUPER EIGHTの横山裕さんの母親は、どんな人物だったのでしょうか。横山さんは幼い頃に両親が離婚し、母子家庭で育ちました。母親は仕事を掛け持ちしながら3人の子どもを育て、横山さんが芸能界を目指すきっかけを作った人物でもあります。
しかし、2010年5月、横山さんが29歳のときに母親は急逝しました。死因は虚血性心疾患と報じられています。一方、母親の年齢については50歳とする過去の報道と51歳とする2026年の報道があり、表記に違いが見られます。弟2人との関係やコンサート当日の出来事、実父・義父との関係まで、本人の発言と報道をもとに整理します。
【母親はどんな人?】横山裕が語った子ども第一の母親像
横山裕さんの母親について、最も印象的なのは、経済的に苦しい生活のなかでも子どもたちに貧しさを感じさせないようにしていたことです。
2025年8月に放送された日本テレビ系『24時間テレビ48』では、横山さん自身が幼少期の家庭環境や母親との思い出を語りました。
仕事を掛け持ちして3人の子どもを育てた横山さんによると、幼い頃の家庭は決して裕福ではありませんでした。
それでも母親は仕事を掛け持ちし、自分のことより子どもたちを優先して生活していたといいます。
マイナビニュースが日本テレビの番組内容を伝えた記事では、横山さんの母親についての言葉が紹介されています。
「とにかく子どもファーストで、自分のことより子どもに何かしてあげな、という人だった」
横山さんは当時の生活について、経済的には苦しかったものの、母親がそれを感じさせなかったと振り返っています。
この発言から見えてくるのは、単に家計を支えるだけでなく、子どもたちの気持ちや日常を守ろうとしていた母親の姿です。
東京での初仕事に持たせた1万円2026年4月、横山さんは文化放送のラジオ番組『SUPER EIGHT横山裕の近況ですけども』で、亡き母親との思い出を語りました。
初めて東京で仕事をすることになった際、母親が新大阪駅まで見送りに来て、1万円を渡してくれたというエピソードです。
母親は生活に余裕がある状況ではなかったため、横山さんは、その1万円をどのように工面したのか分からなかったと話しています。
「何かあったらこれ使い」という母親の気持ちが込められたお金だったのでしょう。
横山さんは、この経験から1万円を稼ぐことの大変さを実感していると語りました。
華やかな芸能界で活躍するようになった後も、母親から渡されたお金の重みを覚えていることが印象的です。
芸能界入りのきっかけを作ったのも母親横山さんが芸能界に入ったきっかけも、母親でした。
2025年9月のデイリースポーツによる報道では、横山さんは15歳のとき、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことが芸能活動の始まりだったと紹介されています。
母親は、息子が芸能界で活動することを応援していました。
2010年に亡くなる直前には、大阪城ホールで開催された横山さんのソロコンサートも観覧しています。
母親にとって、息子の成長や活躍は大きな喜びだったことがうかがえます。
【母子家庭の生い立ち】横山裕と母親、弟2人が歩んだ家族の歴史
横山さんの家庭環境は、幼少期から何度か変化しています。
母子家庭での生活、母親の再婚、義父との別離、母親の病気など、家族にとって大きな出来事が続きました。
3歳で両親が離婚、5歳で母親が再婚横山さんは3歳のときに実の両親が離婚し、母親に引き取られました。
その後、5歳のときに母親が再婚しています。
再婚相手の姓が「横山」だったため、現在の横山という名字になりました。
2019年12月放送のNHKスペシャル『令和家族 幸せ探す人たち』では、横山さんが義父との関係についても語っています。
義父から突然「今日からお父さんと呼びなさい」と言われたものの、幼い横山さんにはすぐに受け入れられず、戸惑いを感じたと振り返りました。
また、義父との関係がうまくいかず、祖父母の家に身を寄せた時期もあったと伝えられています。
母親の病気と2度目の離婚母親は、その後がんを患いました。
横山さんは2025年の『24時間テレビ』で、母親が入退院を繰り返していたことを明かしています。
闘病生活のなかで、母親は再婚相手とも離婚することになりました。
生活が立ち行かなくなり、幼かった弟2人は児童養護施設で生活することになります。
当時、横山さんもまだ若く、家族全員が一緒に暮らせる環境を整えることは簡単ではありませんでした。
横山さんは中学卒業後、高校へ進学せず建設会社に就職。工事現場で働きながら、ジャニーズJr.としての芸能活動も続けました。
家族の生活を支えるために、若いうちから働く道を選んだのです。
【横山裕の家族構成・家系図】実父、義父、母親、弟2人の関係
横山裕さんの家族構成を理解するうえで重要なのが、2人の弟は実の父親が異なる異父兄弟だという点です。
母親の再婚によって弟2人が生まれ、横山さんは3兄弟の長男として成長しました。
横山家の家族関係一覧| 家族 | 横山裕さんとの関係 | 公表・報道されている情報 |
|---|---|---|
| 母親 | 実母 | 仕事を掛け持ちして3人を育てた。2010年5月に死去 |
| 実父 | 生物学上の父親 | 横山さんが3歳のときに母親と離婚 |
| 義父・継父 | 母親の再婚相手 | 横山姓の由来となった人物。母親とは後に離婚 |
| 横山裕 | 長男 | 3兄弟の長男。弟たちの生活や学費を支援 |
| 次男 | 6歳下の弟 | 母親の再婚相手との子ども。現在は家庭を持つ |
| 三男 | 8歳下の弟 | 母親の再婚相手との子ども。2026年には税理士として紹介された |
横山さんの実父については、詳しい近況や職業などは公表されていません。
2025年の『24時間テレビ』関連報道では、横山さんが実父の顔を知らないと語ったことも紹介されています。
幼い頃に両親が離婚しているため、その後の父親との交流についても公に語られている情報は限られています。
実父の現在の居住地や生活状況について、確かな情報は確認されていません。
義父・継父との関係は?母親の再婚相手である義父については、横山さんが2019年のNHKスペシャルで複雑な心境を明かしています。
当時の報道によると、義父とは何年も会っておらず、まだ許せていない部分があるとも語っていました。
一方で、義父のことを一方的に悪く言いたくないという気持ちも示しています。
2019年の報道では義父は存命とされていましたが、2026年現在の詳しい消息や関係の変化については公表情報が限られています。
【2010年に母親が急逝】亡くなった理由と死因、50歳・51歳の年齢の違い
横山さんの人生における大きな転機となったのが、2010年5月の母親との別れです。
母親が亡くなったのは、横山さんが29歳のときでした。
母親の死因は虚血性心疾患母親の死因については、女性自身やスポニチアネックスなどの報道で、虚血性心疾患と伝えられています。
2010年5月16日、横山さんが全国ソロコンサートツアーを行っていた時期に、母親は亡くなりました。
母親はそれ以前にがんを患い、入退院を繰り返していたことも横山さん自身が語っています。
ここで注意したいのは、母親のがんと2010年の死因は別の情報だということです。
がんを患っていたというエピソードだけを根拠に、母親の死因もがんだったと説明するのは正確ではありません。
報道されている死因は虚血性心疾患です。
母親は50歳?51歳?報道に違いがある母親の年齢については、インターネット上で50歳と51歳の両方の情報が見られます。
| 情報 | 報道内容 |
|---|---|
| 2010年当時の報道 | 50歳 |
| 2023年の女性自身の記事 | 50歳 |
| 2026年5月のスポニチアネックス | 51歳 |
| 亡くなった年 | 2010年 |
| 亡くなった月日 | 5月16日 |
| 横山裕さんの当時の年齢 | 29歳 |
| 報じられた死因 | 虚血性心疾患 |
このように、母親の享年には報道間の食い違いがあります。
母親の生年月日を裏付ける公的な情報は確認できないため、50歳と51歳のどちらかを断定することは避ける必要があります。
ただし、2010年5月に亡くなったことと、横山さんが29歳だったことは複数の報道で一致しています。
【母親の葬儀とコンサート当日】横山裕が歌った「オニギシ」のエピソード
母親の死を語るうえで欠かせないのが、2010年5月16日の青森でのソロコンサートです。
横山さんは、母親の訃報を受け取った直後にもかかわらず、予定されていたステージに立ちました。
青森公演の直前に届いた母親の訃報2025年9月のデイリースポーツの報道によると、横山さんは青森公演の直前に母親が亡くなったという知らせを受けました。
突然の出来事に大きなショックを受けた横山さんでしたが、公演を中止せずステージに立つことを選びました。
その理由について、母親は自分が芸能活動をしている姿を好きでいてくれたため、仕事を途中でやめて帰ることは母親も望まないだろうと考えたことを明かしています。
当時の横山さんにとって、母親に自分の仕事を見せることは大切な親孝行の一つだったのでしょう。
母親への思いを込めた楽曲「オニギシ」「オニギシ」
青森公演で特に印象的だったのが、横山さんが母親を思って作詞した楽曲「オニギシ」です。
この曲は、横山さんが幼い頃の母親との思い出を込めた作品として知られています。
母親から受け取った愛情を歌にした楽曲であり、横山さんにとって特別な意味を持っていました。
しかし、母親の訃報を受け取ったその日の公演で歌うことになり、歌唱中に感情があふれて涙が止まらなくなったといいます。
横山さんは観客に母親の死を伝えないままステージに立ち続けましたが、「オニギシ」を歌う場面では涙をこらえきれず、観客に背を向けてしまったと振り返っています。
母親が亡くなる約1か月前の2010年4月3日には、大阪城ホールでのソロコンサートを母親が観覧していました。
横山さんは後年、その姿を母親に見せられたことがよかったと語っています。
葬儀には当時の関ジャニ∞メンバーも参列母親の告別式については、当時の関ジャニ∞のメンバー全員が参列したと伝える報道があります。
横山さんは後年、メンバーが母親の葬儀に来てくれたことを非常に嬉しく思ったと振り返っています。
当時のグループは現在のSUPER EIGHTの前身にあたる関ジャニ∞です。
仕事仲間であると同時に、長年苦楽を共にしてきたメンバーの存在は、母親を失った横山さんにとって大きな支えになったと考えられます。
【母親が亡くなった後】横山裕が弟2人を支えた日々と2026年の現在
母親が亡くなった後、横山さんは2人の弟を支える立場になりました。
単に生活費を渡すだけではなく、弟たちが自立するまで長男として生活や進路を支えてきたことが、後年のテレビ出演で明かされています。
母親の死のショックで次男の記憶に異変2017年のTBS系『A-Studio』や2026年の日本テレビ系『アナザースカイ』では、母親の死後に次男に起きた出来事が語られています。
横山さんによると、次男は母親が亡くなったショックから倒れて病院に運ばれ、約2年分の記憶がなくなってしまったといいます。
次男は母親が亡くなったことを理解できず、病院側から説明を受けても、その事実を受け入れられない状態だったと横山さんは振り返っています。
精神的なショックに加え、十分に食事を取れていなかったことも影響したと説明されました。
横山さんは弟との思い出を作るために海外旅行へ出かけるなど、兄弟で過ごす時間を大切にしてきました。
2026年5月の『アナザースカイ』では、次男の記憶は現在回復していることも明かされています。
次男は結婚、三男は税理士に横山さんの弟たちも、それぞれ自分の人生を歩んでいます。
次男は家庭を持ち、三男は税理士として働いています。
特に三男については、2026年5月9日放送の『アナザースカイ』で横山さんと一緒にフィリピンのセブ島を訪れたことが話題になりました。
横山さんは、弟が税理士になるまで何度も試験に挑戦し、そのたびに学費を支援してきたことを明かしています。
さらに印象的なのが、三男の初任給でお寿司をごちそうしてもらったというエピソードです。
長年、弟たちを支えてきた横山さんにとって、弟が自分の力で働き、初任給で食事をごちそうしてくれたことは特別な出来事だったようです。
日刊スポーツの報道では、横山さんがそのときの感動を語り、父親としての気持ちに触れたことも紹介されています。
2025年の24時間テレビで明かした家族への思い2025年、横山さんは日本テレビ系『24時間テレビ48』のチャリティーマラソンランナーを務めました。
この企画では、自身の幼少期の経験や、母親と弟たちとの生活について改めて語っています。
特に印象的だったのは、弟たちがかつて生活していた児童養護施設を約20年ぶりに訪問したことです。
当時の施設職員が残していた日誌には、テレビに映る兄を見て喜ぶ弟たちの様子や、兄に会いたいという気持ちが記されていました。
横山さんは、その記録を読み、当時の弟たちの気持ちを初めて知ったといいます。
自身の過去を語ることで、現在支援を必要としている子どもたちに目を向けてもらいたいという思いも、マラソンに取り組む理由の一つでした。
2026年には弟2人との海外旅行もテレビで紹介され、母親を亡くした後に支え合ってきた兄弟の現在が伝えられています。
【プロの結論】横山裕の母親をめぐる情報で誤解しやすい5つのポイント
横山裕さんの母親に関する話題は、検索上ではさまざまな情報が混在しています。
特に、家族構成や死因、母親の年齢については、情報を整理して理解することが大切です。
- 母親の死因とがんは別の情報: 母親は生前にがんを患っていましたが、2010年の死因として報じられているのは虚血性心疾患です。
- 享年には報道の違いがある: 50歳と51歳の両方の記載があり、確定情報として一方だけを断定するのは適切ではありません。
- 弟2人は異父兄弟: 横山さんと弟2人は母親が同じで、父親が異なります。
- 実父と義父は別の人物: 横山という姓は母親の再婚相手に由来しています。実父の現在については公表情報が限られています。
- 母親の死と弟の記憶障害は別の出来事として理解する: 次男の記憶に起きた異変については、横山さん本人がテレビで振り返っています。
横山さんの家族の歩みを理解するうえで重要なのは、単に「苦労したアイドル」という一面的な見方をしないことです。
母親が芸能界入りを後押しし、横山さんが家計を支え、母親の死後は弟たちが自立していく。その過程で、家族の役割も少しずつ変わっていきました。
2026年の弟たちとの旅行や仕事に関するエピソードは、かつて生活を支える側だった横山さんが、今では弟たちと喜びを分かち合う関係になっていることを伝えています。
【横山裕の母親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:横山裕さんの母親は何歳で亡くなりましたか?
A1:2010年5月に亡くなりました。50歳とする過去の報道と、51歳とする2026年の報道があります。
Q2:横山裕さんの母親の死因は何ですか?
A2:虚血性心疾患と報じられています。母親は生前にがんを患っていたことも、横山さん本人が明かしています。
Q3:横山裕さんの母親が亡くなったのはコンサート当日ですか?
A3:はい。2010年5月16日の青森公演の直前に母親の訃報を受け取りました。横山さんは公演に出演し、母親を思って作詞した「オニギシ」を歌いました。
Q4:横山裕さんの母親はどんな人でしたか?
A4:仕事を掛け持ちしながら3人の子どもを育てた人です。横山さんは、子どもを第一に考え、経済的に苦しいなかでも幸せを感じさせてくれた母親だったと振り返っています。
Q5:横山裕さんの弟は何人いますか?
A5:弟は2人です。次男は6歳下、三男は8歳下の異父弟です。2026年のテレビ出演では、次男は家庭を持ち、三男は税理士として働いていることが明かされました。
Q6:横山裕さんの母親の葬儀にはSUPER EIGHTのメンバーが参列しましたか?
A6:当時の関ジャニ∞のメンバー全員が告別式に参列したと伝えられています。現在のSUPER EIGHTにつながるメンバーの絆を感じさせるエピソードです。
Q7:横山裕さんの実父や義父は現在どうしていますか?
A7:実父の現在の生活は公表されていません。義父については、2019年の報道で存命とされ、横山さんとは何年も会っていないと紹介されました。2026年現在の詳しい状況は明らかになっていません。
横山裕さんの母親は、経済的に苦しい環境でも子どもたちを第一に考え、働きながら3人を育てた人物でした。
15歳の横山さんの芸能界入りを後押しし、初めての東京での仕事を応援し、ソロコンサートで息子の成長を見届けました。
しかし、2010年5月16日、横山さんが29歳のときに虚血性心疾患で急逝。青森公演の直前に訃報を受け取った横山さんは、母親への思いを込めた「オニギシ」を歌い、ステージに立ち続けました。
母親を亡くした後は弟2人を支え、生活や学費を援助。次男は家庭を持ち、三男は税理士となり、2026年には兄弟で海外旅行を楽しむ姿も紹介されました。
母親が息子に与えた愛情は、横山さんが弟たちを支えた時間にもつながっているように見えます。
現在のSUPER EIGHT横山裕さんの活動を知るうえでも、母親との思い出や弟たちとの関係は、彼の人生を理解する大切な背景の一つです。
主な参照報道・番組資料
- マイナビニュース(2025年『24時間テレビ48』関連取材)
- デイリースポーツ(2017年・2025年・2026年の横山裕さん関連報道)
- 女性自身(母親の急逝と青森公演についての報道)
- スポニチアネックス(2026年の母親の死因・弟とのエピソード)
- 日刊スポーツ(2026年の三男とのエピソード)
- Smart FLASH(2019年NHKスペシャルでの生い立ちに関する報道)